2012年2月18日土曜日

社内SNSに対する個人的雑記

最近社内SNSにおける1対多、多対多のコミュニケーションがいかに優れているかが喧伝される機会が増えていると思います。

礼賛記事もあればカウンターパンチもありと色々出てきて読んでいるだけでも十分楽しいのですが、勤務している企業でも社内SNSを利用しているので、一度自分でもまとめてみたいと思います。

社内SNSは、環境によりかなり異なるので前提条件を記載します。
利用しているサービスはSalesforce Chatterです。(yammerからのリプレイス)
勤務している企業では、特にルール等を設けず自由に社内SNSを利用しています。
従業員は70名前後のSaaSベンダーでスーツ、エンジニアの比率はだいたい半々です。


問題点と思われる事象

  1対多、多対多のコミュニケーションは望まれているのか?
喧伝されているようにメールやIMに比べて、SNSが1対多、多対多のコミュニケーションに優れているというのは間違いないと思います。
ただし、優れているからといってそれが劇的に使われるかというとそうではない面もやはりあります。

この利用を妨げているものの根本には、そもそも1対多、多対多のコミュニケーションの見える化はそこまで望まれていないのでは無いかという事を最近思っております。
上手く言えないですが、怖さ、恥ずかしさが入り交じった拒否感という物がそこには存在している気が、、、


  共有というプレッシャー
この拒否感のような物はなんなのでしょうか?
大企業になると新しい物に対するFUD(Fear=恐れ、Uncertainty=不確実性、Doubt=疑い)が発生するという見識もありますが*1、新興の小さな会社では新しいもにそのものに対する恐れ、疑いは特にありません。

今の個人的見解は、この拒否感の対象は「共有する」という行為そのものではないかと思っています。
情報が「共有される」という事は喧伝されている通り組織に所属している人達から望まれていると思います。
実際に有益と思われる情報に対しては一定数のアクションがつき、共有が加速される状況が見受けられます。

ただし、このような情報にたいするアクションがつけばつくほど、投稿するまえにアクションされるに値するか?というのプレッシャーがつよくなってくるという側面もあります。


  承認アクションも見える化される
さらに承認アクションも見える化によりプレッシャーになってくる可能性をはらんでいると思います。
いいね等による承認欲求充足が、SNSのコミュニケーションを加速させるという事が言われており、確かにその面はあります。
しかし、これも時間と共にいいねがもらえないと恥ずかしいであったり、もらうに値しないのでは等のプレッシャーに昇華しそうです。
(「ソーシャルよいしょ」といわれる承認しないといけないというプレッシャーもでてくる可能性はありますが、勤務先では特に発生していないですね。。。)


解決策案

  ゆるさのおりまぜ
ゆるさのおりまぜというのは、プレッシャーにたいする軽減策の一つとして有効ではないでしょうか?
大事な情報がドンドン共有され続けるとプレッシャーもドシドシ強くなってく気がするので、ある程度ゆるさを混ぜていく方法が解決策になりうるのではと思います。(名言BOTだけをフォローしているTwitterとか疲れませんか?)


  空気よまない力の発揮
また、「空気読まない力」を発揮してガシガシ雑談も外した共有もする人達もプレッシャーの軽減には有効かとおもいます。(空気は読まないだけで読めないじゃないよ >< )

このあたりの「外し」の可視化により別に外してもいいなという心理的逃げが生まれると良いなと思ってます。
ただ、このあたりは一部メンバーでの盛り上がりになってしまい常連による新規排他につながる恐れを内在するのが難しいところです。


何となくの結論っぽいもの

  フローする社内SNSだけでなくストックを分けて運用しては
これはまさしくその通りだと思いますし、企業におけるSNSにお当てはまる部分があると思います。

企業利用においては、Twitterの変わりが社内SNSでブログの代わりにはwikiであったりGoogleサイトのようなものになるかと思います。

今は暗黙知の共有と肩肘はってなにもかも社内SNSにするのではなくツールの切り分けをおこなえば良いのかなと思います。
そのときにお互いのツールはあえて分離して、見える化を回避するのも手段としてはありだと思っています。

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